富永美樹と夫・まことと山梨県へ移住した理由とは?子供は?
富永美樹と夫・まことと山梨県へ移住した理由とは?
富永美樹は、元フジテレビアナウンサーで、現在はフリーで活動しています。富永美樹と夫のまことは、活動拠点である東京を離れ、山梨県の富士山麓にある森の中に移住しています。
2人のこだわりがたくさん詰まったモダンな家は、建築費用約4000万円!お洒落なインテリアで、ログハウス風でありながら風格も感じられる豪邸です。
2人が山梨県へ移住するきっかけとなったのは、まことが、仕事面で困難な局面に立たされたことでした。1999年に、メンバーの暴行事件によってシャ乱Qが活動休止に追い込まれたことは、まことにとって、とりわけ大きな精神的ダメージを与えたと言います。
翌2000年にシャ乱Qが活動を再開した後も、思うようにいかない様子のまことは、いつしかしゃべりもしなければ、笑いもしなくなりました。心配になった富永美樹は、自然やアウトドアが大好きな夫を思い、自然豊かな山梨県へ移住することを決意します。こうして山梨に移住したまことは、心の平安を取り戻していきました。
当時を振り返ったまことは、「色んなものを救ってもくれたし、浄化してくれた」「東京にしか家がなかったら、今頃何かが崩壊していたと思う」とコメント。最近は、夫婦そろってテレビ番組に出演する機会も増え、結婚後も変わることのない深い絆を見せています。
富永美樹と夫・まこととの間に子供は?馴れ初めは番組企画だった!?
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富永美樹と夫・まこととの間に子供は?馴れ初めは番組企画だった!
1994年にフジテレビに入社して、瞬く間に人気女子アナになった富永美樹ですが、周囲が引き留めるのも振り切って、入社4年目に結婚を機に退社。お相手は、人気ロックバンド・シャ乱Qのドラマーのまことでした。しばらく専業主婦として過ごした後、2006年に、フリーアナウンサーとしての芸能活動を再開しています。
富永美樹と夫まことの馴れ初めは、番組企画で共演したことでした。その後、マウンテンバイクやアウトドアといった共通の趣味を通じて親交を深めた2人は、1998年に結婚。現在に至るまで子供をもうけていない富永美樹と夫のまことですが、数年前まで飼っていた柴犬を、まるで子供のように可愛がっていたそうです。
富永美樹は東京外国語大学卒の高学歴!クイズ番組で東大王チームに勝利
富永美樹は東京外国語大学卒の高学歴!クイズ番組で東大王チームに勝利
TBS系で放送されているクイズ番組「東大王」に出演している富永美樹は、「東大王」ファーストシーズンにて、辰巳琢郎と阿部哲子とチームを組み、日本最高峰の頭脳集団・東大王チームに勝利する快挙を達成しました!東京外国語大学卒業という高学歴を誇る富永美樹ですが、チームメイトの辰巳琢郎も、名門・京都大学出身で、クイズ番組で驚異の正解率を叩き出すことで有名です。
元日本テレビアナウンサーの阿部哲子は横浜国立大学卒と、こちらもたしかな学歴。この富永美樹ら「芸能人選抜チーム」は、番組MCの山里亮太が「(東大王チームが)本当にヤバイ」と叫ばずにはいられない熱戦を繰り広げ、番組を大いに盛り上げました。
富永美樹の料理の腕前がスゴ過ぎる!発酵マイスターの資格も。。。
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富永美樹の料理の腕前がスゴ過ぎる!発酵マイスターの資格も
今、富永美樹の料理の腕前に注目が集まっています。富永美樹は、フジテレビを寿退社した後、2006年までは専業主婦に徹していました。その期間に培われたのは、家事の知識や料理のワザ、さらには発酵マイスターの資格を取得して得た知識などなど。これらを生かした料理レシピが満載の公式ブログ「シェフ富永美樹の今日もマイペースで。・・・ね」が人気を集めています。
タイ風グリルチキンにタンドリーチキンとエスニックもあれば、ミートソースドリアなど洋食もお手の物。卵料理や魚料理など家庭料理もたくさん掲載している富永美樹は、料理の腕前がスゴイと評判に。さらに、富永美樹は、発酵マイスターの資格を生かした料理本も出しています。
それが、2017年に出版された「フリーアナウンサー/発酵マイスター富永美樹の『腸が変われば、病気にならない』」で、すでに完売してしまったほどの人気です。
富永美樹が審査員に!平成29年度の「ふるさと名品オブ・ザ・イヤー」の結果は?
富永美樹も審査員を務めた、地域に眠る名品などを表彰する「ふるさと名品オブ・ザ・イヤー」の表彰式が、東京都内で行われました。地方創生大賞の中の1つである「モノ部門」に選ばれたのは、和歌山県海南市にある高田構造商店の「紀州産からだ用棕櫚たわし檜柄(ひのきえ)」です。
富永美樹も絶賛するこの「棕櫚たわし」は、繊維がしなやかな紀州産の棕櫚を使用しています。そのこだわりは、棕櫚を育む山の管理から始まり、農薬など化学薬品は一切使用しないという徹底ぶり。すべての製造工程を高田構造商店の職人による手作業で行っているため、形やサイズに若干の差が生まれてしまいますが、あえて計量しないことにも職人技ゆえの理由がありました。それは、その時の棕櫚の繊維の状態を職人の手で見極めて調整するからです。
審査員を務めた富永美樹は、「棕櫚の山を再生するところから始めている点が素晴らしい」とコメント。環境省の森里川海アンバサダーを夫婦で務めているだけあって、自然環境への関心は特に強いのでしょう。まことのためを思って移住を決意したことや、健康に良い料理を工夫している様子など、夫の心身を労わる富永美樹には多くの好感が寄せられています。夫婦の絆を大切にしながら、フリーアナウンサーとしても活躍を続ける富永美樹が、今後、夫まことと共にどのような道を歩いていくのかに興味津々です。
引用元:http://anincline.com/tominaga-miki/