室町時代まで遡れるって、スゴ杉です!! ざくっとまとめます!
伊達みきお 40歳
17年前 お笑いを目指して、仙台から上京する時
父親から伊達の姓は使うな!と言われた。
伊達みきおの家系は、伊達政宗につながるらしい?!
伊達家の家系図
みきおが高校生の時に父から渡された
独眼竜政宗で有名な伊達政宗につながる家系だという!
【 大條(おおえだ)家のルーツ(室町時代) 】
ご先祖様は
第17代当主政宗の200年前の室町時代 第9代当主政宗に遡る
第9代当主政宗の弟が大條宗行
伊達家から分家
大條伊達家第20代当主 伊達宗行さん(85歳)
物理学者・仙台在住
伊達一族の系図(明治27年出版)
大條伊達がどのように現れたかわかるもの
大條家の先祖 宗行の名前が!!
分家して移り住んだ伊達郡大條邑(現・福島県伊達市)に城を構える
それで大條という姓になった
今年で、大條家は600年を迎える!
残る地名
大條の字が大枝に変わって、今も残っている
大條城跡
大條氏が暮らしていた城の跡。大枝城。
この地を200年治めた。
【 独眼竜政宗の時代(江戸時代) 】
宮城県・山元町を新たに任される
敵対する相馬氏との最前線・守りの要となる場所
山元町の場所は?!
大條家ゆかりの茶室
一族結束の場所
大條家家系図
山元町歴史民俗資料館に残されている。
室町~幕末のすべての当主の家系図が山元町に保存されている。4メートルに渡る。
家系図の最後には・・・
道徳という名前が記されている
【 大條姓から伊達姓へ!!(明治維新) 】
みきおから4代遡った大條道徳は
仙台藩の家老職に当たる奉行(27歳)を務める
1868年(明治元年)道徳30歳の時 戊辰戦争(旧幕府軍)
家名の存続・藩の取り潰し回避が求められる
戊辰戦争後、木戸孝允(新政府代表)と会談。
伊達家、領地は減らされたが仙台藩の存続を認められるという戦後処理を行う。
功労が認められ、450年の時を経て、伊達の姓に戻る。
大條家家系図
道徳の脇に添え書きが。伊達の姓に戻る!と。
【 みきおの曽祖父・祖父・父の時代へ(明治・大正・昭和) 】
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●曽祖父・亮治 東京帝大法学部=>裁判官
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●祖父・忠亮(ただあき) 東京帝大法学部=>満州重工業開発=>地元銀行
大正4年生まれ
==祖父の部屋は、図書館のようだった。一生見ないだろうなという題名の本の==:みきお談
父の期待を一身に受けて育った!!
8人兄弟の長男の忠亮
末の弟 忠敏さん
<<忠敏さん談>>
忠亮さんは、理数系が弱いので、東京高等師範の数学科を出た人のところに住みこんで、数学教えてもらった!!
成績がめきめき上がって、東京帝大法学部に入った。
司法試験には合格できなかった。
我が家の姿
忠亮が晩年に書き残した家族の記録
満州重工業開発(株)に就職
司法試験に失敗し就職。
日産コンツェルン総帥:鮎川義介創設の、満州の鉱工業を担う巨大企業。
昭和15年 旧満州(現在の中国東北部)に渡る。
法律の知識を買われ、文書の作成・管理を担う。
昭和16年(1941年) 太平洋戦争 開戦
お見合い
出張で仙台に戻る
相手は伊澤時子
時子は260年以上続く、伊達家御用達 勝山酒造の娘
時子の生まれた家は今も残っている。
こちらが、戦災を免れた勝山の酒造工場!
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時子のいとこの息子 伊澤平一さん
伊澤平一(81歳):現 勝山企業会長
立派な部屋だな~!(みきお談)
お正月はここに集まって宴会をする。
広大な敷地には・・・
レストランや結婚式場
かつては、迎賓館があった
朝鮮の王族イ・ウンもやってきた。
七人兄弟の長女、時子も記念写真に!!
伊澤美恵子さん(87歳)談
時子の兄嫁
娘時代、とても幸せだった。別荘に絵の先生や書の先生、毎月一日おいでいただき、おけいこ事していた。
昭和17年結婚
忠亮 27歳、時子 23歳。
伊澤家 結婚の時に着る特別な着物
それがコレ!
平一氏の母、時子、平一氏の嫁、長男の嫁と、何人も着ているのでモトとれています(爆)
大條家ゆかりの茶室
新婚初夜はこちらで過ごす。
新婚生活の舞台
満州国の首都 新京(現在の長春)。
庭付き二階建ての社宅 家政婦つきの暮らし
みきおの父:政亮誕生
結婚の翌年
忠亮 昭和20年8月1日 召集
新京から20キロ離れた撫順に配属
2週間後敗戦。部隊は撫順で解散
その2週間後、新京の家にたどり着くも、ソ連軍に連行されシベリアに送られる。
結婚して3年 家族は引き離される
忠亮 シベリア抑留の記録
アムール州 ライチヒンスク収容所
石炭の採掘などの強制労働を課せられた
昭和21年・時子 仙台へ
書道具などを道端で売り、お金にして、(時子兄嫁談)
髪短くして、男装して、(みきお父談)
苦労して仙台へ戻る。
伊澤家では戦災で親戚がたくさん集まっていたので、伊達家の方で暮らす。(兄嫁談)
靴下を売って、お金を得ていた。(父談)
昭和24年9月 忠亮 帰還
舞鶴港に帰る
4年の歳月を経て家族再会
忠亮、地元の銀行に就職。
支店長や本店の部長を歴任。
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●父・政亮(まさあき) 地元の大学=>忠亮と同じ銀行
勤務題度はまじめで実直
昭和47年 職場結婚
後輩のひろ子と結婚
2年後 長男のみきお 誕生
木の幹のように、太くたくましく育ってほしい、ということで、幹生と名付ける。
伊達家では、代々、政宗に由来する【政】や【亮】の字を使ってきた。
息子に、伊達の名の重圧をかけたくなかったので、例外的な、幹生に命名した。
【 そして、伊達みきおは?! 】
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父は、息子のみきおに手堅い仕事についてほしいと願った!!
介護福祉用品を扱う会社のサラリーマンとなる。
23歳・転機 芸人で上京
かわいがってくれた祖父の死で転機が訪れる。
高校の同級生の富沢とコンビ結成。
9年後
コンテストで優勝し、ブレイク。
宮城県・気仙沼の魚市場
テレビの撮影中、地震に合う
地震の翌日
父から、現状を全国に伝えるのが仕事と言われる
東北魂 復興支援の義援金窓口
震災の5日後に立ち上げる。
物資も自ら運びます!
ふるさと東北のために力になりたい!!
ブログには力強い言葉!
【みきおのこれから・・・・】
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【みきおのこれから・・・・】
14冊になったスクラップブック
みきおの父が記事を集めている
●ふるさとのために率先して仕事をしている!
復興支援のイベントなど、東北地方を精力的に回っている
★★★ 親戚の方々からのコメント ★★★
●政宗は天下とれなかったけど、みきおちゃんは天下とったようなかたちだからね!(大叔父:伊達忠敏さん)
●伊達を継承し 返す刀で 大條を継承してくださるという・・・・
体を大事に 長い活躍を期待したい(大條伊達家第20代当主:伊達宗行さん)
●伊達家のためにも宮城県のためにも、大いに頑張って欲しいと思います!(祖母の兄嫁:伊澤美恵子さん)
●今、伊達の名を使うのを、完全に許しています!伊達の名に恥じないだろうと思っています。(父:伊達政亮さん)
====== めでたし めでたし =======
これからも、更なるご活躍を!!
引用元:https://matome.naver.jp/odai/2142572947105265401?&page=4