名作アニメ「火垂るの墓」が放送できなくなったという噂がネットを駆け巡っています。果たして本当でしょうか?その理由とは?
『火垂るの墓』(ほたるのはか)は、野坂昭如の短編小説。野坂自身の戦争原体験を題材した作品である。兵庫県神戸市と西宮市近郊を舞台に、戦火の下、親を亡くした14歳の兄と4歳の妹が終戦前後の混乱の中を必死で生き抜こうとするが、その思いも叶わずに栄養失調で悲劇的な死を迎えていく姿を描いた物語。愛情と無情が交錯する中、蛍のように儚く消えた二つの命の悲しみと鎮魂を、独特の文体と世界観で表現している。
『火垂るの墓』を原作とした同名タイトルの映画(アニメーション、実写)、漫画、テレビドラマ、合唱組曲などの翻案作品も作られており、特にアニメーション映画は一般的にも人気の高い作品となっている。なお、イギリスでも実写映画化される予定となっており、撮影は2014年から行われる[1]。
『火垂るの墓』のベースとなった戦時下での妹との死別という主題は、野坂昭如の実体験や情念が色濃く反映された半ば自伝的な要素を含んでおり、1945年(昭和20年)6月5日の神戸大空襲により自宅を失い、家族が大火傷で亡くなったことや、焼け跡から食料を掘り出して西宮まで運んだこと、美しい蛍の思い出、1941年(昭和16年)12月8日の開戦の朝に学校の鉄棒で46回の前回り記録を作ったことなど、少年時代の野坂の経験に基づくものである。野坂は幼児期に生母と死別したのち、神戸で貿易商を営んでいた叔母夫婦の養子となったが、前述の神戸大空襲で住んでいた家は全焼。当時14歳だった野坂は1歳の義妹とともに西宮市満池谷町の親類宅に身を寄せたり、あるいはその近くのニテコ池の南側に広がる谷間に10ヶ所ほどあった防空壕で過ごすなどの経験を実際にしている[4]。
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「火垂るの墓」が放映出来ない理由とは…都市伝説?
名作「火垂るの墓」テレビで放映出来ないという憶測がネットを飛び交っています。その真偽について検証します。
■本当に放送されなくなったのか? 放送履歴を再確認してみると・・・
1989年8月11日がテレビ初回の放送でした。内容が大平洋戦争末期の本土空襲や食料不足の被害が甚大だった頃の話なので、以降、終戦記念日前後に放送されるようになりました。
履歴を見ればお分かりのように、翌年90年に放映されましたが、次は3年後の93年でした。その次は更に4年も間をあけた97年だったのです。
そして99年から09年までは1年置きの8月中旬に放送されていました。このため、定期的に放映された印象が強かったのでしょう。
しかし、13年と15年にも放映されています。よって以下の様な書き込みがネットで散見されますが、正しくありません。これは2017年10月現在で見直してみれば、の話です。
火垂るの墓がテレビで最後に再放送されたのは、
2011年だったようですね。調べたところ、この年以降、再放送されたこと
がなかったようですね。2011年以前では、1989年、1990年、1993年
以降は2年に一回、奇数年に放送されていた
みたいです。確かに、数年前までは、お盆の時期になると
頻繁に再放送されていた気がしますね。
1989年からは、日本テレビ系「金曜ロードショー」で8月の終戦記念日前後に放映されるようになり、1993年から1年おきに放映が行われてきました。
当時金曜ロードショーの解説は故水野晴郎氏が行っていましたが、本編が終わり、再び解説を行うシーンになった時に必ずといっていいほど涙を流していたのが今でも印象に残っています。
このように、ほぼ「夏の風物詩」のような存在だったこの作品が、2009年8月14日の放映後、ぱったりと放映されなくなりました。
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■問題ー1 視聴率の低下
これは上記で長々と述べたように、決して放送されなくなったわけではなく、やや期間をあけて放送されるようになったということです。これは客観的に見れば視聴率が低下してきたことが理由として挙げられるでしょう。
勿論、名作アニメですから一定の視聴率は取れます。ただ、視聴者全般にこのアニメに対してやや新鮮味が薄れたことは否めないでしょう。
ただ繰り返しますが、名作なので今後も世代に受け継ぐ意味で放送されることはあるはずです。
■問題ー2 サクマドロップの商標権の問題とは
作中で節子が後生大事に持っていたのがドロップの缶。それが佐久間製菓の「サクマ式ドロップス」です。佐久間製菓は戦時中休業に追い込まれました。
しかし戦後復興しますが、創業者同士の分裂騒動が勃発してしまうのです。
このドロップは佐久間製菓という会社から販売されていたものですが、実はこれが戦後、創業者の息子さんが起こした会社(サクマ製菓)と、その会社の番頭さんの起こした会社(佐久間製菓)に分かれてしまったのです。
双方とも後継者を名乗りドロップを作っていましたがこれが訴訟問題になり、結果として戦前からある『サクマ式ドロップ』を佐久間製菓が、そしてもう一方もサクマ製菓を名乗ることを許された、ということで決着したようです。
ちなみに、このお家騒動が起きたのが、1948年(昭和23年)前後と推測されます(両社の会社沿革より)。
つまりアニメに使われたドロップの缶が”式”抜きの「サクマドロップス」と描かれていたら、確かに問題でしょう。でも、「サクマ式ドロップス」と描かれていました。よってこの件も問題ありません。
■問題ー3 政治的・思想的な理由?
一部の左翼系(テレビ局や電通など)から”戦争加害者の日本が被害者面している事がけしからん”という意見が多くなったというもの。
また、逆に日本の流れが右傾化していく中で、反戦アニメは逆効果なので、敢えて放送させないよう圧力が加わった。
上記二つの理由は酷いですね。勿論これは唯の憶測です。根拠は見つかりません。このアニメは”反戦アニメ”ではありません。
以上の事から”火垂るの墓が放送されなくなった”という説はいい加減な都市伝説と言えます。何もこの作品が毎年放送されなければいけないという必要性も無いでしょう。
・この作品だけジブリの中でも異質だよね。
・原作以上に兄弟二人の悲劇性を打ち出しているからヒットしたけど暗いよね
・こういう涙腺崩壊物は何度もやると新鮮さが失われるから
・もう20年以上も経つし、流石に自然と放送サイクルも長くなるだろう。ただそれだけ。
都市伝説とは無責任な噂から、どんどん尾ひれがついて収拾がつかなくなり、独り歩きしてしまうものなんですね。
引用元:http://bazzoo.info/archives/78920?readmore