1: ファニーちゃん
交通事故で死亡した有名人
交通事故は、ちょっとしたスキであったり、本当に一瞬に起こってしまうものです。
でも、その結果は重大です。
ケガならまだしも、死亡者が出てしまうとなると本当に悲惨で悲痛な事態となってしまいます。
毎日、日本のどこかで交通事故は起こっているのですが、過去にはテレビに出ているような有名人でも交通事故の犠牲となってしまった人がいました。
今回は、そのような有名人を改めて集めてみたいと思います・・
テント
漫談家のテントさんです。
とぼけた淡々とした調子で、合間にギャグをはさむ漫談で人気だったのですが・・
漫談家。本名は三浦得生さん。
とぼけた淡々とした調子の語り口で、合間にギャグをはさむという漫談を行い、最後に「人間パチンコ」のような珍芸を披露するのが十八番でした。
2016年9月、大阪市天王寺区の横断歩道を横断中に乗用車に撥ねられ、心肺停止の状態で病院に搬送されましたが、同日、死亡が確認されました。
65歳没。大阪の芸人は、みな大変なショックを受けました。
萩原流行
俳優、タレントとして大活躍した萩原流行さん。
気さくでひょうきんな人柄が、多くの人に愛されていました。
2015年4月、東京都杉並区の青梅街道の道路上で、オートバイを運転中に高井戸警察署の護送車に接触されて転倒しました。
この時、後ろから来た乗用車に胸をひかれ病院に搬送されましたが、死亡が確認されました。
62歳没。
卑劣な犯人役を演じることも多く、個性派俳優としての地位を確立していました。
また、生前はうつ病を妻とともに患い、通院・服薬を続けていました。
そのため、トーク番組などで闘病経験を語る出演も多くありました。
奥大介
ジュビロ磐田に長く所属し、磐田の黄金期を築いた元サッカー選手。
享年38歳という若さでした。
2014年10月、沖縄県道で軽乗用車を運転中、電柱に衝突する交通事故を起こしました。
奥さんは、全身を強く打ち、心肺停止の状態で病院に搬送されましたが、骨盤骨折などにより1時間半後に死亡が確認されました。
38歳没。
奥さんの現役時代のポジションはミッドフィールダー。
Jリーグのジュビロ磐田で長く活躍し、磐田の黄金期を築きました。
あまりにも早すぎる夭逝に、サッカー界全体が深い悲しみに沈みました。
桜塚やっくん
お笑いタレント。
セーラー服姿に竹刀を持つという、不良女子高校生のスタイルで人気者でした。
2013年10月、運転していた際に中央分離帯に衝突する単独事故を起こし、車外の路上へ出たところを後続車にはねられました。
病院へ搬送されたものの、心臓破裂により死亡が確認されました。37歳没。
やっくんの訃報に対し、遺族やファンのみならず、ヒロシ、カンニング竹山、陣内智則、狩野英孝などのお笑い芸人、多くの俳優、歌手などからも、ツイッターやブログなどを通して哀悼の念が多数寄せられました。
若松孝二
寺島しのぶが、ベルリン国際映画祭の主演女優賞を受賞した映画「キャタピラー」の監督。
若松作品は、海外での評価も非常に高いものばかりです。
2012年10月、東京都新宿区の都道を横断中、左から来たタクシーにはねられて腰などを強く打ちました。
病院搬送時から意識不明の状態が続いていて、そのまま入院先の病院で死去しました。76歳没。
若いころ、家出し上京。
職人見習いや新聞配達、ヤクザの下働きなども経験しました。
チンピラ同士のいざこざから逮捕され、半年間、拘置所に拘禁されたことも。
このような人生経験すべてを、自身の映画に昇華させた名監督でした。
高橋 江紀
23歳という若さで散った、オートバイレーサー。
今でも多くのファンが命日を弔っています。
2011年4月、埼玉県東松山市において乗用車を運転していた高橋は、対向車線にはみ出してトラックと衝突しました。
そのまま危篤状態に陥り、約12時間後に息を引き取りました。23歳没。
オートバイレーサーで、GPライダーの高橋裕紀の弟。
J-GP2クラスでは、年間ランキング4位を記録しました。
まだまだ若く、レーサーとしても将来を期待されながらの早すぎる死でした。
富澤 勝行
競輪選手だった冨澤選手。
通算戦績739戦202勝、優勝23回という成績を残して旅立ちました。
2010年3月18日午前10時15分ごろ、千葉県印旛郡栄町の国道356号で、大型トラックと衝突。
病院に運ばれたものの、頭の骨を折るなどしており、約3時間後に死亡が確認されました。
29歳没。
警察の調べによると、対向車線側の歩道を他の競輪選手5人と一緒に走行。
その際に、車道との間のポールに接触してバランスを崩し、前から来た大型トラックに衝突したと見られています。
阿部 典史
モーターサイクル・ロードレースレーサー。
13歳でデビューした天才でした。
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阿部 典史
2007年10月7日午後6時20分頃、神奈川県川崎市川崎区の片側2車線の市道の右側車線を、500ccスクーター型バイク(黒いヤマハ・TMAX)で北上していました。
その途中、左側車線から突然Uターンしてきた、コンビニエンスストア配送用の4トントラックに衝突しました。
午後8時50分過ぎ、搬送先の病院にて32歳の若さで急逝。
現場はUターン禁止区域だったため、このトラック運転手は起訴され、禁固1年4ヶ月(執行猶予3年)の判決を受けたということです。
山﨑 あつし
漫画家、同人作家でした。
遠近感やパースがおかしいことから、インターネット上で話題になることが多い作家でした。
山﨑 あつしは、次のページで↓↓
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山﨑 あつし
2006年12月2日、愛車でドライブ中に事故を起こしました。
そのまま、意識不明の重体となり入院。
回復しないまま、23日に死去しました。享年30歳。
彼の趣味は車でした。
ケーターハムのスーパーセブンという車を2台も乗り継いでおり、走行会やカーミーティングなどにも参加するほどの入れ込みようでした。
そんな愛車の事故で命を落とすとは・・いたたまれません。
山平 和彦
シンガーソングライター。
デビューアルバムが何と放送禁止になり、物議をかもしたことがありました。
山平 和彦は、次のページで↓↓
2004年10月12日夜、東京都足立区の尾竹橋通りでひき逃げ事故に遭遇し、13日未明に死去。享年52歳。
ひき逃げした加害者は2005年1月27日に検挙されました。
山平は、1970年シングルをリリース。
アルバム『放送禁止歌』でアルバムデビュー。
タイトル曲の放送禁止歌が文字通り放送禁止になり、収録曲の入れ替えなどで物議をかもしました。
その後も多くの作品を生み出しましたが、活動を一度ほぼ休止。
その後、1990年代末頃から再開していました。
井西 泰政
日本中央競馬会のジョッキーでした。
20歳という若さで、命を散らしました。
2002年10月21日の午前2時25分ごろ、茨城県稲敷郡美浦村の国道125号線を乗用車で運転中、事故に遭遇しました。
センターラインを越えて対向車線を横切り、道路右側の民家のブロック塀に衝突。
その弾みにより再びセンターラインを越え、約90メートル先の左側の電柱に激突して全身を強打する重傷を負ったのです。
美浦中央病院に収容されましたが、間もなく死亡しました。
まだ20歳という若さでした。
菅原 加織
俳優、菅原文太さんの長男です。
31歳で亡くなっておられました。2001年のことです。
2001年10月、東京都世田谷区の小田急小田原線の踏切内で上り電車に撥ねられました。
すぐに病院に搬送されましたが、頭や胸を強打しており、翌日に死去。31歳没。
お父さんの文太さんは、2014年に、81歳でお亡くなりになりました。
文太さんのあの豪快なキャラクターと、強面の裏には、子供を先に亡くすという深い悲しみがあったんですね。
柳原 尋美
ハロー!プロジェクトの女性アイドルグループであるカントリー娘。の初期メンバー。
インディーズでのデビュー直前の事故でした。
1999年7月16日午後5時すぎ、北海道河西郡中札内村の村道を、自ら運転するSUV車(2代目三菱・パジェロ)で走行中にハンドル操作を誤りました。
車両は右方向に蛇行、慌てて左方向に切り返したところ、車両が横転し車外に放り出されて車両の下敷きになってしまいました。
その後、救急車で帯広救命救急センターに運ばれましたが、午後7時10分、緊張性気胸による急性心不全で死去。
享年19歳でした。
横井 軍平
『ゲーム&ウオッチ』、『ゲームボーイ』、『バーチャルボーイ』等の開発に携わったゲーム・クリエーターでした。
任天堂を世界的大企業へと押し上げる原動力となった方です。
1997年10月4日、石川県能美郡根上町(後の能美市)の北陸自動車道上り線で、知人男性が運転していた車が前の軽トラックに追突する事故を起こしました。
その追突した軽トラックを動かすため、車外にでたところ後続の乗用車にはねられてしまいました。
同日午後9時、搬送された小松市民病院で外傷性ショックのため死去しました。享年56歳。
関与したゲームは数え切れず。
偉大なゲーム・クリエーターでした。
太地 喜和子
最後は、恋多き大女優の太地喜和子さんです。
彼女の死は、多くのファンや芸能関係者に大きなショックを与えました。
1992年10月13日、静岡県伊東市での『唐人お吉』公演期間中の午前2時過ぎ。
乗用車が桟橋から海に転落する事故により死去。
同乗者は泳いで脱出したものの、彼女は泳げなかった上、乗車前に深酒をしていたことから生還できませんでした。
48歳没。
この事故死直後、プライベートでも親友だったカルーセル麻紀さんが自身の舞台上で感極まり「喜和子ぉ!!」と絶叫しながら号泣した場面がワイドショー等で放送されました。
いかがでしたでしょうか??
ご存じの方も結構いらっしゃって、驚かれたのではないでしょうか?
どんなに元気な人でも、交通事故はいつどこから降りかかってくるか、誰にも分かりません。
あらためて、事故死した方たちを振り返ると、人の生の儚さに愕然とする思いがします。
そして、またこういった事故は人の力で防げるものでもあります。
このような悲しみを繰り返さないように、私たち一人一人が十分に胆に銘じていきたいものですね。