「ぽいぽいぽいぽぽいぽいぽぴー!」の掛け声など、飲み会芸をベースとした過激パフォーマンスで2010年代の初めに注目された女性エンターテインメント集団「あやまんJAPAN」。グループの中心メンバーのひとりとして活躍したのが、めんそ~れ愛菜さん(永遠の18歳=自称)。今、どうしているのか。
愛菜さんに会ったのは、4月にオープンした一般非公開の紹介制バー兼事務所。東京メトロ六本木駅から徒歩2分の好立地だ。同バーの開店前に出迎えてくれた愛菜さん、クリクリした瞳が印象的なきれいな顔立ちは、あやまんJAPAN時代と変わらない。
「今は、アイドルやグラビアをやっている女の子が20人ほど在籍する芸能事務所のひとり社長として頑張ってます。15年4月に立ち上げ、今年で4年目に入りました。事務所もこのバーも『元あやまんJAPAN』の肩書があるので“どうせ男に出資してもらったんでしょ?”とか、めっちゃ言われます(笑い)。でもちゃんと自分でやりくりしてきました」
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愛菜さんの現在の仕事の9割は所属アイドルのプロデュースや社長業。中でも力を入れているのが、アイドルグループ「病ンドル」のプロデュースだ。
「普段はネガティブで“病み”がちな子なのに笑顔をつくっているアイドルを見て、『なぜ隠すんだろう?』と思ったんです。私自身、ファンが心配するくらい病んでたんですけど、それでも支えてくれるファンがいっぱいいました。じゃあ、病んでることを表に出すアイドルがいてもいいじゃんって思ったんです。『病ンドル』がもっと有名になって、テレビで活躍してくれるようになったらうれしいです」
自身のタレント活動は、忙しくて「やる時間がない」とキッパリ。
「ウチの事務所のためになるなら、ドンドン出演したいです。でも、自分がタレントとして出るのは、もう違うかなと思ってます」
■下ネタも水着を着るのもイヤだった?!
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■下ネタも水着を着るのもイヤだった
さて、沖縄県浦添市出身の愛菜さんは、「男まさりで、ちょっと目立ちたがり屋な性格」から、小学校では児童会長を務め、中学入学の際には新入生代表の挨拶をするような少女だった。高校卒業後は上京し、アパレル業界に就職。その後、読者モデル・タレントとして活動する一方、生活費を稼ぐために六本木のキャバクラで働きはじめ、ナンバーワンに。
「生まれてから毎日モテ期です」と豪語する愛菜さん。「読モ時代が一番モテたかもしれないです。でも、あやまんJAPAN時代は周りがサッと引いていきました」と笑い、トップまで上りつめたキャバクラを辞めた理由は「実は、結婚したからなんです」とカミングアウトした。
離婚後ほどない13年、同グループのメンバーだったファンタジスタさくらだ(33)の結婚による脱退と同時に、あやまんJAPANへ加入。友達だったあやまん監督との付き合いで入ったはよかったが「水が合わなかった」と振り返る。
「意外と、あやまんと仕事の考え方が違ったんです。あやまん自身も会社を始めて社長になっちゃうし、お互いの思いや関係がズレてきました。いろいろ考えすぎて病みましたね」
グループの名物である過激パフォーマンスも「けっこうイヤでした」と苦笑い。
「もともと、私はパリピ(パーティーピーポーの略)じゃないですし、下ネタがめっちゃ嫌いなんですよ。衣装として水着を着るのが一番イヤでした。『じゃあ、なぜ入ったんだよ』って感じですけど(笑い)」
加えて、稼ぎはメンバー同士で分け合うためスズメの涙で、「家賃も払えなかった」という。
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「昼はあやまんJAPAN、夜は生活費を稼ぐために銀座のクラブで働きました。1年半くらいですかね。心労とお酒の飲み過ぎで十二指腸潰瘍になりました(笑い)」
15年4月に「年齢詐称による解雇」という名目であやまんJAPANを脱退。同時期、今の事務所を「準備していたわけでなくて、やっちゃおうと思って」立ち上げた。
3年たった現在、年収は当時に比べて「20、30倍」になったと明かし、「私の居場所をもらいました」と感謝を口にした。
「ウチの事務所の子たちは、病んでるといっても“どうせ私なんて”と捨て鉢にならない、頑張り屋で真面目な子ばかり。一緒にいると励まされます。学校や会社のことで悩んでいる方も“どうせ私なんて誰にも必要とされていない”とか思わないでほしいです。もっと頑張って、周りを見返してやる。そう思ってほしいです」
引用元:http://news.livedoor.com/article/detail/14915064/