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Channel: 毒女の黒いウワサ
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【衝撃】「探偵!ナイトスクープ」の初代局長、上岡龍太郎の現在!引退理由がこちら…【画像あり】

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上岡龍太郎という天才芸人の現在!引退理由は何だったのか?

上岡龍太郎という天才芸人の現在!引退理由は何だったのか?

上岡龍太郎は「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流。恵まれない天才」

上岡龍太郎が、「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流。恵まれない天才、私が上岡龍太郎です」という惹句とともに、大阪のテレビ業界を席巻し、2000年、まだ58歳の若さで、芸能界をすっぱりと引退して、早16年。慶弔事への出席や、オフレコとしてのいくつかの発言はあったものの、芸能界の表舞台に立つことは、引退から現在まで一度もありません。

上岡龍太郎は、1942年生まれで、現在74歳。1960年に、横山パンチという芸名で、故元大阪府知事であった横山ノック、横山フックとともに、漫画トリオを結成。トリオ漫才として一世を風靡しますが、リーダーの横山ノックが政治家に転進したことでトリオは解散し、横山パンチは上岡龍太郎として、ピン芸人の道を歩み始めます。

上岡龍太郎かねてより宣言していた芸能生活40周年での完全引退

上岡龍太郎は、やがて、流暢で歯に衣着せぬ司会ぶりが人気となりました。司会としては、横山ノックと再び組んだ関西テレビ「ノックは無用!」や、鶴瓶とのフリートークで爆発的人気を誇った読売テレビの「パペポTV」、あの直木賞作家、百田尚樹が構成をしていた朝日放送の「ラブアタック!」など、数々の人気番組に出演。さらに、現在も放映されている関西のお化け番組「探偵!ナイトスクープ」の初代局長として活躍した上岡龍太郎。

デビューから40年間、大阪のテレビ界のドンとして君臨します。しかし、上岡龍太郎は、かねてから番組で、「私は、芸能生活40周年を迎える2000年の春になったら完全に隠居する!」と公約していた通り、ものの見事に、芸能界を引退したのです。

 

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上岡龍太郎の横山ノックへの弔辞が泣ける!生瀬勝久、織田無道との因縁とは?

上岡龍太郎という笑いの天才が「ボケの神様」横山ノックを送る伝説の弔辞

上岡龍太郎の才能を見出したのは、横山ノックでした。上岡龍太郎が、研ぎ澄まされた笑いの天才とするならば、横山ノックは、天衣無縫、ボケの神様であったといえます。2007年、横山ノックの葬儀で読まれた上岡龍太郎の弔辞は、笑いの天才が、ボケの神様を送る見事なものでした。

上岡龍太郎による弔辞は、(ここから引用)「ノックさん、あなたは僕の太陽でした。あなたの熱と光のおかげで僕は育ちました」と始まり、「漫才師から参議院議員、大阪府知事から最後は被告人にまでなったノックさん。相方や住まいや肩書はコロコロ変えたけど、生涯奥さんだけは替えることがなかったノックさん……」と、弔辞は名調子で語り続けられ、「人を笑わせるのに自分は泣き虫で、賑やかなことが好きな寂しがり屋で、ああ見えて意外に人見知りで、甘えん坊で、頑固で、意地っ張りで 負けず嫌いで、天真爛漫で子供っぽくて可愛くて、そしていつでもどんな時でも必ず僕の味方をしてくれたノックさん」と続く終盤には、葬祭会場全ての人々を、涙と感動で包みました。

そして上岡龍太郎が最後に結んだ言葉は、「そしてノックさん、本当にさようなら。不世出の大ボケ、横山ノックに献杯」でした。(ここまで引用)

 

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上岡龍太郎は、ゴリゴリの戦争反対論者で超オカルト嫌いだった!

上岡龍太郎は、ゴリゴリの戦争反対論者であることでも有名です。あるとき、「探偵!ナイトスクープ」で、まだ槍魔栗三助と名乗っていた生瀬勝久が、戦争で活躍した老人について「戦争で勇ましかった」とコメント。すると、リポートを見ていた上岡龍太郎が、戦争賛美であると激高し、生瀬勝久が番組を降板するという事件がありました。

また上岡龍太郎は、オカルト嫌いでも有名で、当時霊能者として人気のあった織田無道とは、番組で一触即発、乱闘寸前までいったという逸話も残っています。いずれにせよ、一言居士、上岡龍太郎の面目躍如といったところでしょうか。

上岡龍太郎自らが師匠志願した、弟子テントの不慮の死にぼうぜん自失

上岡龍太郎の弟子で、めったにテレビに出演することがないことから、ツチノコ芸人と称され、カルトな人気を誇っていた孤高のピン芸人テントが、先日、交通事故で不慮の死を遂げました。65歳でした。大阪のディープなお笑いファンにとっては、テントが、結構な年齢であったことにあらためて驚かされたこの事故。

テントの葬儀に参列するため、久々にマスコミの前に姿を現した上岡龍太郎は、現役時代のシャープな面影を残してはいるものの、ぼうぜんと出棺するテントを見送り、一言も発することはありませんでした。上岡龍太郎は、関係者を通じて、「突然のできごとで、衝撃的でぼうぜん自失としております。さすがの私も言葉がございません」というメッセージを寄せています。

実は、このテントという芸人に惚れ込んだのは上岡龍太郎のほうで、その芸を惜しんで、上岡龍太郎のほうから、テントの師匠になることを志願したのだそうです。上岡龍太郎は、テントに、今は亡き横山ノックと自分との関係を重ねあわせたのかもしれません。

今年新年、上岡龍太郎の家に挨拶に訪れたテントと、もう一人の弟子ぜんじろうは、初の兄弟会を開こうと意見が一致。上岡龍太郎も満足そうに聞き入っていたといいます。そして8月18日、2人は、大阪・福島の「さばのゆ温泉」で、初めての兄弟会を開いたばかりでした。上岡龍太郎にとっては、自分が認めた笑いの天才を、世に送り出せなった自分の老いと非力に、大きな後悔が残ったようです。

 

引用元:http://anincline.com/kamioka-ryutaro/


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